不真面目で一生懸命にイイカンジ

カメラと溶接と日々の思ったこと

人生はタイミングじゃない、日頃の積み重ねという準備だと感じた瞬間

 

 

先日職場で正社員争奪大会がありパート社員はこぞって正社員になるべく、その少ない募集枠に応募して面接して日ごろの働きぶりと共に評価された結果でその一握りの枠を獲得することが出来る。

 

自分もその面接に日ごろの仕事ぶりとしての目線と、こういう時にしかわからないその当人が何を考えながら仕事にあたっているか?という点で面接に参加し、この面接次第で社歴を覆す下剋上のようなことが起きる。

 

のが、

 

通常であり決定権は基本的に自分と面接立会者の上司と共に面接の内容と日頃の働きぶりで決まるはずが、この職場の最高責任者がなぜかいちいちこんなことにまで絡んできて実際の決定権はすべてこの責任者がその時の気分とその相手に対する印象と都合イイ時だけ出てくる会社のルールで(本人は人事の決定で会社のルールをことごとく覆す人事を繰り返してきた)判断し、その独断と偏見で決めてきた人事はすべて裏目に出て入社間もないパート社員をいきなり管理職にしたり面接や日頃の働きぶりでも特に箸にも棒にもかからないような人物を社歴が長いというだけで昇進させた結果、ほとんどが降格、退職、もしくは全然イケてなくてもう降格させたいとか自分で言い出す始末。

それらすべてストレートにその影響を受けているのはその人事が行われた担当部署管理職。

 

そして今回もそのセンスの無い謎の人事が発動した。

今回はその責任者が勤務中に見たことがある(印象に残っている)という基準で人事を決めたとみて間違いない。

ある一名は、一番忙しい時期に一番忙しい部署でちょっとしたオーバーアクションで懸命に働いていたのがその責任者に強く印象に残っていて、どうにかしてその人物を上げたいようだった。

自分が管轄する部署では面接の結果をそのまま伝えると社歴など関係なく「はい、OK」となったが、その中に他部署からその応募者がいて、その応募者が今回その責任者の良い印象に残っていて、なぜ彼じゃないんだ?と始まった。

こちらとしては人手が足りなかったので人員が他部署からでも増える事は謎人事の不幸中の幸いでよかったし、その人物も全く知らないというわけではなく働きぶりもまぁまぁ外野から見た感じではわかっていたのでよかった。

 

問題はよその部署。

とある部署では今一番伸びている従業員で仕事に対する姿勢も改まり、本命の一名でこの人物を上げるために今回の募集があったといっても過言ではなく、面接もよく日頃の働きぶりも最近では目を見張るものがありおまけにバイリンガルという非の打ちどころがないのだが、

問題は以前その従業員は見た目がだらしないと言ってその責任者に直接注意されているということ。どのような態度だったのかは詳しくは知らないが、「だらしないって言われてもパートだから身なりに使う金がない」と答えたようで、おそらく自分が思うに、この一件があってからその責任者の中でのこのパート社員の印象は自分に盾ついたとして強く悪い印象が残っており、どうにかしてこの従業員を上げたくなかったんじゃないか?

 

今日の帰りの車中にそう思えてならない。

 

この責任者はテメーも人の事を言えない見た目なのにもかかわらず人をルックスで判断するところが多々あり、また違う部署では以前勤務していたが違う仕事をするために退職し、再び出戻りで季節雇用員として元の部署で働き、その部署も人手が足りなかったからそのまま復帰という形で採用を目指していたのだが、いかんせんその人物は若いのにハゲ散らかっており、おそらく以前勤務していた時になにかその責任者が見て気に食わない点でもあったのか、新規採用者の候補としてさえも断られてその道は閉ざされた。(新規に採用したいというリストにすら上がらないというのは普通こんなことはありえない。)その部署の仕事がわかっていて教える手間も省けて仕事がそこそこ出来るにも関わらず、だ。

 

そんな人事を繰り広げて後に何も残らないような結果ばかり残す奴が責任者をやっていること自体が問題なのだが、現実は残酷でその元で働かなければならないし、嫌なら辞めるしかないし、いつまでこの地域にいるのかわからないこんな奴が責任者としてここにいるこのタイミングで働いていて、このチャンスをものにしなければならないのは事実だ。こいつがいる限り上に上がれない人もいるであろう。

 

こんなことがまかり通っていいはずがないが、どうにもならない現状であがいても知れている。ならば、出来る事をすべてやりつくすのみ。

どうやったら上がれるか?→この責任者に気に入られるようにする。たとえ一日に数回もしくは一回しか会わなくても一瞬しかすれ違わなくとも元気よく笑顔であいさつする、これだけでも強烈な印象とまではいかなくとも良い印象としてイメージを植え付けられる。

そして日ごろからの働きぶり。これもかかせない。これが無ければまず引っかからない。

 

こんなことが起きる会社でも自分は会社は人生の縮図だと考えている。これが人生だとまでは言わないが、こんな理不尽なことが起こってしまう。出来ればそのスタッフもこちらの部署で拾い上げてあげたいがそうもいかない。人生が変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。さらに言えば、この責任者ではなく違う責任者であれば結果は当然変わっていた。これは言い切れる。こんな酷な状況だからこそ思えるのが

 

「準備していた者だけがチャンスをつかめる」

 

”人生はタイミングがすべて”みたいな軽く感じる言葉を一度は聞いたことがあると思うが、当然そのタイミングが来なければなんにもならないが、少なくともそのタイミングが来た時に全力で行けるように日頃からの準備が無ければそのチャンスを逃してしまう。

前回の、自分がパスポートの期限が切れていただけでアイスランドに行けなかった時のように。

 

ではその準備はどのようにしておけばよいのか?

こればっかりは正解が無いからこれだ!と言えるものはないが、少なくとも会社においてその他大勢に埋もれずに自分を主張すること。声の大きさだったり、身だしなみ、行動、作業、姿勢、仕事ぶり、早さ、正確さ、丁寧さ、誰から見ても、”あいつは違う”という明らかな違いを見せつけれない限り突出した人物として抜擢はされないだろう。

不思議なもんで、なにか突き出ている人物は直属の部署でなくとも一瞬見ただけでわかる。

これを心掛けているだけで少なくとも社内においてなにかチャンスが来た時に取りこぼしの可能性はグッと低くなる。

仕事以外の趣味や仕事にしたい事になると、趣味でやっているカメラや溶接で言えば例えばコンテストに出す、物を作って展示会に出す、販売会に出る、店頭に立つ、一年に一回の大きなSHOWに出す、大会で日本一、世界一を目指す、

 

そのたった一日、たった数時間、たった数分、たった数秒のために、その数日頑張ってきたこと、数週間頑張ってきたこと、一年間努力してきたこと、何年も積み重ねが必要なことがその一瞬で発揮される。

EMINEMのlose yourselfの歌詞にもあるように

我を忘れるくらいすべてをささげてチャンスをつかめ

次はない

チャンスは一度だけ、チャンスを見逃すな

 

こんな気持ちで事にあたらなければ、何も成し得られず、よくある何かの一部、何百人の一人になってしまう。

 

とかなんとかわかったような事をほざいている自分もその中に埋もれてしまうような日々を過ごしがちであるが。

 

自分は今の職場は上述したように人生の縮図(自分の言動が相手に反射して自分に返ってくる)だとも考えるし、実際にこの会社独特の月に一回程度あるお偉いさんが来るときに出来る事(製造、品質、清掃、整理、これまでの数字)すべてやりつくし、指摘されるかもしれない1%を潰すために寝ずに20時間以上も働かなければならないときがある。これも今までの経験があるからこそある程度ポイントを掴むことが出来てどこをどうすればよいかがわかっており、なおかつそのたった数分のために1週間以上かけて着実にそのポイントを潰していくというのは傍から見れば無駄にしか見えない仕事。だがこれも目線を変えれば、今後自分に来るチャンスをつかむために、それを取りこぼさないように出来る事はやりつくして後悔が残るかもしれない1%を潰し、その一瞬のために数時間、何十時間、何日もかけて準備しなければならない、それを身につかせる為の訓練だと思ってそんな無意味に思えるような会社独自の悪習というかしきたりにも心がけを変えて事にあたっている。

 

特に言えることは、今までやってこなかったことをその時になって急に出来るわけは無い。今までやってきたことが出るし、やってきてなかったことも出る。

 

お偉いさんが来るために通常運転とは違う特別なことを準備する(見てくれがいいようにする)こと自体、本来の目的からは外れてしまっているとは当然感じているが、自分はそれも考慮の上でその時出来る事のすべてがその一瞬に詰まっているとも考える。

 

こう思ってこの仕事にあたれている人間がどれほどいるか。自分を律するために自分を鍛えるために、今後の自分の人生のためにと思ってこのくだらない繰り返しのしきたりに対応しているか。こうでも思わないとやってられないと思って心が折れてたまに手を抜いてしまうこともあるが(けっこうあるかもww)自分がしていることには何か意味があると思い、そんな手を抜いてしまう甘い自分を戒めるために自分の親指の付け根に”いつも自分のしていることは自分が見ているぞ”という意味を込めてホルスの目のTATOOを彫りたいくらいなんだけど、それぐらい自分に厳しくストイックにいきたいという気持ちではある。

 

厳しくストイックに行きたい自分とつい甘くなってしまう自分がいてホントまだまだ未熟なんだけども、他人のふり見て我がふり直せとはよく言ったもので、本当に他人を見て観察して、自分の糧にすることが習性になっているからこそ今回のようなことを忘れないように記録しておこうと思った。

 

今回不採用になった数十名には、これであきらめず、一体今はどのような状況(クソが上にいる)でどのような身の振り方をすればよいかよく考えたうえで”こんな日もあるさ、こんなこともあるさ”と少しでも早く次に向かって気持ちを落とさずに次いつ来るかわからないチャンスに向けて出来る事はすべてやりつくす日々を過ごして準備を怠らなければそれはものに出来ると信じいるし、そうなってほしいと願う。

 

ただ、今回上がれた人は準備できていた人もいたし、準備できていなかった、ただのラッキーもいた。

落ちてしまった人たちに言えることは、そのラッキーすら覆すほどの武器が無かったという準備不足。(仕事ぶりだけでは決定権を奪い返せない。やはりそんなことが起きるこの状況では社歴以外ではその責任者に植え付けてある印象が一番の決定打だと今回でわかった)

 

日々の過ごし方も準備、心の持ち方も準備、仕事に対する姿勢も準備、何を考えているかも準備、そのチャンスが来た時に全力でフォーカスを当てて取りこぼさないように興味を持って視線を向けておくのも準備、

準備をやりきることが出来れば、ゴリゴリアピールしまくってチャンスすら呼び込むことが出来るかもしれない。

 

やれることをやりきる。

PENNYWISEのDate with destinyの歌詞にもある

Did you live like a dream come true or did you just survive?
Did you do all you could do?

夢がかなうかのように生きたかそれともただ生き残るだけなのか

やれることはすべてやったのか

 

 

準備あるのみ。

 

 

アメリカ旅行中、車の助手席でカメラを手にしたまま準備していたから取れた1コマ

 

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PENTAX K-30 DA18-135mm

仕事の姿勢が結果として表れた瞬間

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PENTAX Q7 01 STANDARD PRIME F2.8 ISO100

 

 

先ほど、夜勤明けでコンビニに寄ってビールを買いに行ったとき。

レジで2名ほど並んでいてこんな夜明け前なのに混んでんなぁ。今まで人がいなかったのに俺が行くところに人が集まってくるジンクスを思いだした。

またそんなとこであろうと思ったが、今日は違った。(俺が行くときに限ってそんな状況になりやすいのは違くないが)

 

店員はたまに朝方見かけるダメそうな、出来なさそうな、そんなどんくさい空気感を持っているおばあちゃんおばちゃん(おばあちゃん?おばちゃん?みたいなカテゴリーの分類に困る感じ)

客のおっさんがあーでもねーこーでもねーとそのダメそうなおばあちゃんおばちゃん店員に面倒くさいタイプのクレームを言ってモメてるようだ。

 

こっちとしてはさっさとビールの銘柄を選んでサクッと会計してパッと出たいとこだったが、幸いにも持ち金が225円しかなく、おいしいビール350mlを買うか、質より量を取ってどんな添加物が入っているか知れないやっすい第3系のビールもどき500mlにするか熟考に費やしていたのでさほどとばっちりを食らうわけでもなかったので悩みながら聞き耳を立てていると

 

どうやらそのおばあちゃんおばちゃん店員に非があるような攻め立てっぷりで、おばあちゃんおばちゃん店員はその見た目通り強い意見に流されて潰されてしまうような、でもひたすら平謝りしてさーせん!!ちょ、ホントさーせん!!みたいなハキハキごめんなさいを発揮するでもなく、しどろもどろしながらも言い訳に聞こえるような説明と手際の悪さが絶妙なハーモニーで相手のクレーマーおっさんのおいしい所をどんどん引き出していくというクレーム沼にハマっていく様は可哀そうながらも自業自得感がぬぐえないありさまでございました。

 

俺がご来店させていただいてから1~2分後、そのおっさんは会計を済ませて出て行ったが、そのあとに並んで事の顛末を見ていたおっさんに「何がどうしたの?」的な質問でもされたのか、説明していたのを聞くと、どうやらコンビニ特有の

「時間賞味期限」

に引っかかった商品を手にしてレジに並んだのが、先ほどのクレーマーおっさん。

で、その時間賞味期限切れの検品を見落としてチェックを怠っていたのがそのおばあちゃんおばちゃん店員。それがまたなぜかクレームをつけるような相手の手に渡ってしまうのがこの世の不思議。偶然と偶然が重なり合い、必然が起きる、そんな一コマ。

 

私はこれを神の試練、もしくは神が自分への甘さの警告をしていて、これを乗り越えなければ今後も幾度となく同じことが繰り返される身に着けなければならない資質だと考えています。とか言っておけば、なんだか俺が知的でミステリアスでスピリチュアルな感じがするのでそーゆー事にしておきます。

 

っとゆーわけで、どんな経緯があったかは知らないが、因果応報。

その行動にして、その結果あり。

 

自慢とか、俺スゲーとかは思っていないが、一応管理職を8年ほどやってきて数百人以上のさまざまな人間を見てきたところ、顔と行動、言動、思考(性格)は一致していることが多いという自分の持論があり、このおばあちゃんおばちゃん店員はおそらく、言われたことだけやってあとは時が過ぎるのを待つだけ、自分の仕事に対する姿勢や努力、向上心、自律性、率先力などは持ち合わせておらず、社会における外れやすい歯車として機能してきたのだろうと思われる(私個人の主観)

 

何度かこの店員を見ていて(あぁなんかダメそうだなぁ。出来なさそうだなぁ・俺だったら雇わないなぁ。。)とは思っていたのもあって、過去に何回か俺がレジにいるのにややしばらく自分の作業に入っていたので周囲が見えていない、配慮に欠ける、そんなイメージがあったが今回のこの件があって,、あぁ~やっぱりなと確信した。

 

人間誰でも失敗はあるからだれかがミスしても自分は今後同じことが起きないように工夫すればそれでオケとか思ているが、このおばあちゃんおばちゃんは自分で

「チェックしてなかった」と吐いていたので確信犯。自分がすべき仕事に対して手を抜いていたということ。また自分にその自覚があったということ。

 

慰めの言葉でもかけようかとも思ったが、手抜きの自覚があったのでなにも言わず店を後にした。

 

高齢に差し掛かっている人が仕事で客に詰められるなんて場面はなんだかいたたまれない気持ちになるがこれも本人にとって自分を省みる人生の中のひと時だと思いながら人生って日々勉強と反省だなぁと思った出来事。

 

 でも、今後このおばあちゃんおばちゃんにこのような苦言を呈する人物が現れるのかということと、この年齢までそのようにやってきてこんな助言をしたところで心に響いて改心するのか?という疑問もある。

 

また視点を変えれば、もしかしたらこの人はシフトで変わったばっかりで交代前に働いていた手落ちのせいでこうなったのかもしれない。

こういう視点も持ち合わせていないと、頭から(こいつはダメな奴だ)と先入観をもって個人的に決めつけた人格になってしまうので、さまざまな要因や状況をちゃんと確認したうえで本当にそういう人物なのか、それともただ外れクジのババ引いた人生になりやすいだけで実は誠実な人物かもしれない、という目線。真実を見る目をまた養うようにしようと思った。

人のふり見て我がふり直せ

 

ま、こんなことほとんどの人にはどーでもいいんですけどね。でも、このブログは自分の記録用だからこんなことまで真面目に考える。

 

 また夕焼けとマジックアワーの写真を撮りにいきたいな~。

                           

チャンスが目の前を通り過ぎて行ってしまった瞬間

今日、仕事中に上司に呼ばれ、急な話をされた。

 

「ちょっとアイスランドまでヘルプで行ける人いる?

返事は今日中。というよりも、あと30分以内。期間は大体2週間から3週間くらいかな。とにかく緊急で召集かかったから日本から数人送ることになってウチからも行ける人リストに載せなきゃいけないから行くかどうかはまだわからないけどどう?」

アイスランド。。。異国。。。未知の土地・・・

 

 

行っっっっきてぇぇぇぇーーーーーーー!!!!!!

 

「俺が行きましょうか?英語?うーん、そんなバイリンガルじゃないけど仕事内容なら話せますよ。仕事は教えれると思います。」

 

「そう。じゃリストに載せとくよ。すぐ行ける?今週中とか。」

 

「あ、パスポートの期限切れてるから更新してからなら大丈夫です。たぶん来週の中ごろには更新出来てると思います。」

 

「ほんとに?家族は?奥さんは大丈夫?」

 

「たぶん大丈夫です。ちょっと後で聞いてみます。」

 

 

あ~、嫁はなんて言うかなぁ~。。子供三人も毎日一人じゃ大変だし、えぇ~~~!とか言われそ。。。

 

なんて思いつつ

で、嫁に電話で話す。

 

「いいじゃん!行っといでぇ~!!いいなぁ!私も行きたい!!えーーーー!!いいなーーー!!」

 

まさかの両手離しで送り出し決定に。

なんだかGRAYのなんかの曲のPVでアイスランドで撮影してるのがあって、それを見てからアイスランドに昔すごく行きたかったらしい。。知らんけど。。

 

つーか、俺と付き合うまでこんなフットワーク軽いというか、国から出るということをしたことが無かったのに、今更そんなことを初めて聞くことに驚き。俺が外人、外国リミッターを解除してしまったか。。

 

新婚旅行でパラオに行ってから「海外」という不安な状況みたいな、言葉通じないし道わかんないしみたいなネガティブなイメージはなくなって、海外楽しい!外人とわからないながらも会話するのも楽しい!みたいなスゲーいい記憶で終わったし、俺は海外で仕事がしたいって事もたまに話したりしてるもんだから海外に行くことに関してはとても積極的にOKしてくれる。4年前にアメリカに友達と2人で行くとき、第2子が生まれたてだったのにもかかわらず快くOKしてくれたし。

今回のアイスランド行きも、「海外なら止めない。転勤になっても止めない」とか言ってくれちゃったりなんかして、もう気分は行ける気満々。

 

が、しかし。

 

その募集してるメールを見せてもらうと、

「パスポート切れとか、持ってないとかの人は無しで」

 

の一文が。。。。

 

 

ダメじゃ~ん!!もう、行く気満々だったのに、心の中はアイスランドでいっぱいだったのに、もう、だめじゃーん!!!

 

 

さらに、働いている部署の日本統括的な人からも電話きて

 

「どう?行くの?リストに上がってないけど??君は機械や備品に強いからいいと思うんだけどねぇ。パスポートの期限切れてるならまた今度だね。この話はもう今週中に行ける人とかの話だから。パスポートとかはこういうことがあるからいつもちゃんとしてないと。でも、まぁまた来週になったら追加で来てくれとか言ってくると思うからパスポートは更新しておいて。」

 

そんなぁ~~~↓↓↓。。。。。

 

 

 

 

はぁ。。。なんかこないだ、そういえばパスポート切れてるよな~。更新しないとなぁ~。でもそんな金ねーしなー1万くらいかかるから。。。

 

とか思ってた矢先に、こんな話!

 

アイスランド!?海外!?しかも仕事で!?

なにそれ!めっちゃ人生変わりそうじゃん!なんか向こうでまだ知らない何かが起きて俺に何か劇的な変化をもたらしたりとか、出会いとかあったりしてそれで人生変わってとか起きるかもしんないじゃん!そんなことはごくまれとしても、毎日毎週毎月同じことの繰り返しのマンネリ化した日常とはかけ離れた新しい刺激になるじゃん!こーゆーことがねーとこんな会社で働いてるメリットねーよ!あぁ!マジ行きたい!!!!

 

 

そんな思いもむなしく、その後、その話は音沙汰なし。

 

はぁ~。。。目の前でチャンスが過ぎ去って行ってしまったぁ~・・・

最高だと人生が変わるレベル、最低でもこのなんてことのない日々に刺激になるレベル、勝手な想像だと映画「LIFE」に出てくるみたいな、アイスランドでバーでヘリで漁船でみたいな世界観をこの目で見れる!とか思って、

 

マッジで写真撮りにいきてぇーーーーー!!!!K-70を三脚たててISO100固定でリアルレゾリューションかまして朝も昼も夜もランドスケープ撮りまくって、Q-S1で街中とか気になった物とかひたすらスナップする休み満喫してぇーーーー!!!バー行って地元の奴と意気投合してぇ!!!

 

 

て、ゆーのが本音。そんな私のはかない夢は数時間で終わりました。。。

 

まだ可能性はあるけど、ほぼ無い、みたいな。

 

まさか、パスポートを持っていない(更新してない)だけでこんなことが起きるなんて学校で教わってないし、親から聞いてないし、本にも書いてない。

こんな事まで準備しておかないといけないの?人生は?

これから来るかもしれない変化球的なチャンスに対してあとどれくらい何を準備しておけばいいのだろうか?

 

これから来るかもしれないチャンスというのはなんだか受動的だけど、それを取りこぼさないですべて拾って行けるようにこっちも準備しておくってゆー自発的な行動も必要なんだなぁ。あと何をどれくらい用意しておけばいいのか、どこまで準備して日々を過ごせばいいのか。

 

今回分かったのは、パスポートは常にREADYにしとけってこと。

あとは、個人的な名刺かな~。

さらにあれば、自分のホームページ?うーん、FACEBOOK? INSTAGRAM?

準備しとくならキリが無くて、

一歩外に出たらTVでインタビューを受けるかもしれないから身なりはいつも気を払うとか、寝癖のままはアホみたいに見えるから絶対整えるとか、身振り、手振り、人との接触、対応、目つき、顔つき、しぐさ、果ては乗る車、バイク、付き合う相手、住む家、使う道具、仕事、靴、時計、シャツ、帽子、ペン、メガネ、サングラス、もう、ここまでやったら逆にこんな不自然な奴を誰もほっとかないんじゃないか?

 

こんな境地に達した今であります。

 

ひとまず、今後に必要だと思われるチャンスを取りこぼさないで済む網の基準として

 

・有効なパスポート(金が無くてもいざという時のフットワークの軽さと反応出来る時間、速度、が違う)

・国際免許(これは常に有効にしとけばOK)

・カメラ(決定的瞬間はいつ現れるか分からない。i Phoneじゃだめだ、カメラが無きゃダメだった~、な状況を回避)

・自分が出来る事リストとやってきた事リストな写真を用意

・ちょっと余裕のある金銭(余すほどはいらないが、急な対応は出来る程度)

・あとは何よりも健康!!

 

 

はぁ。。。アイスランド。。。。。

 

 

行きてぇ。。。

 

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K-70 HD DA70mm F2.4

 

 

 

嫁ごめん。。てなった瞬間

 5月、季節外れのインフルエンザを幼稚園か外出先か分からないがもらってしまい、寝込長女と次女。

さらにもらう嫁。

 

俺、一人元気。

 

しまいには一番下の長男まで熱。

 

俺以外全滅です。

 

俺は、別にいーよ。仕事だし。ちょっとぐらい熱とか、鼻水とか、咳とか、仕事で、あー風邪なんですゲホゲホちょっといつもよりも余計使い物にならないかもです~、具合悪いけど仕事に来てます、つらくなったらかえります、もしくはちょっと安静にさせて下いゼェゼェ。。

 

そんな感じになってもオッケ。家に帰ってきても、あー仕事疲れたってゆーか風邪で具合悪いから横になってるーで、一人仕事で疲れてますアピール+風邪だから横になれますよね?俺仕事してきたし。

世のお父さん方、こうじゃないですか?

俺もかつてはそんな感じだったと思います。俺なんか病気になったら一気に病人になるタイプですから。

ごはんもなにもいらない、薬もいらない。だからせめてそっと横にならせて。

 

一人暮らしだったときや実家暮らしでは通用しますよ。

 

でも幼稚園に通うくらいの年齢の子供がいたら、しかも子供が病気、さらにそれをもらって嫁も病気の場合。さらにさらに自分ももらって一家壊滅の場合。おまけに仕事をしてないから疲れてるとか関係ない場合、嫁と自分の状況はイーブンになります。

 

俺は経験しました。去年一年間、会社の連中の空気なんか読まずに就業規則労働基準法にのっとり、男の管理職で初めて育児休暇を取った時の事。

 

まさに一家全滅。

全員熱、咳。

 

しかも俺は仕事してないから疲れてなんかいない。

もぉ~~~う!だるい!!熱でダルイ!!!横になりたい!!!!なんにもしたくない!!!ちょっと、マジ立ってらんない!!!!

 

それは嫁も一緒。

 

しかし、それでも子供たちの飯だ、赤ん坊のおむつだ、抱っこだ、子供らに薬飲ませる、ゴミ捨て、洗濯、掃除、食器の片づけ。

 

もうめっちゃつらい!!!!嫁ももちろん俺に「やってよ!」っと少し強めに言ってくる。そりゃそうだ、俺も働いてねーし。

マジ横になってたいのに、横になってられない。いつもの家庭の業務が待っている。

もう地獄だぁ~。。。。。

子供がいる状況で自分が風邪ひいてめっちゃだるくてつらい状態がこんなにも苦しいとは思わなかった。

 

俺は職場から離れれば、管理職とはいえほぼ24時間責任者みたいなもんだけど、それでも働いてるメンツからは気を使ってなるべく俺にコンタクトを取らないようにはしてくれている。

が、お母さんの場合。24時間、朝も昼も夜もお母さん。しかも0~1歳半くらいまでの乳児がいたらいよいよ24時間のうちにわずかな一人の時間なんてありえん。ほぼ皆無。

そこに言うこと聞かない幼稚園児の子供が幼稚園から帰ってきて、自分の思うままにならない(基本、親が思うような聞き分けのある子どもなんかいるわけなく)苛立ちとやれって言ったことしないし、やらないでほしいことばっかするし、服はぬぎっぱなし、おもちゃ出しっぱなし、飯に文句言って食ったり食わなかったり、眠くなったらぐずって泣き叫んで言うこと聞かないし、ってゆーか、だいたい泣き叫んでクソうるせーし、いっちょまえに怒ったらむくれてふてくされて二回にドスドス音立てて上がっていくのがハラワタ煮えくり返るほどカチンっ!と来て怒鳴り散らすことになるし、しまいにはおしっこ行けって言ってんのに謎にいかないで居間でおしっこを立ちながら漏らしだすし。←今日の一番のポイントはここ。

 

とまぁ、風邪をひいたらただでさえいうことを聞かない子供たちがいるのにそこに追い打ちをかけるように自分も具合悪くて、余計イライラしやすいのに子供らは言うこと聞かなくてもうホント気が狂いそうになる。そんな嫁を見てられない。

 

今日も夜勤明けで帰ってきて、朝ご飯を一緒に食べて、昼ごろにうつろながら目が覚めて横になったまま布団の中でもぞもぞしてたら

 

すさまじい叫びにも聞こえる怒鳴り声が

 

「っっっっっっもぉうううううう!!!!!!!!!!!どうして一回で行かないのっ!!!!!なんで行けって言った時に行かないのっ!!!!あぁぁぁぁっぁぁああぁぁぁぁぁぁぁああああxcっぁぁぁぁぁぁあxっぁ!!!!!!!!」

 

嫁の渾身の心の雄たけびが聞こえてきて、これはやばい!と思って下に降りたら、次女が立ったままおしっこ漏らして泣きながらびっちょびちょで立ち尽くしている。

この次女も謎にトイレに行きたがらなくてひたすら我慢して、結果漏らす、みたいなことがままあって、ここ最近嫁もインフルもらって具合悪くて一番下のちびも熱あって一日中抱っことかで何も出来なくてただでさえイライラしてる時にこの次女。

 

俺は何をするでもなく、嫁の爆発したキレっぷりにどうすりゃいいもんかわからないまま俺も立ち尽くしたままだった。

 

嫁はものすごい顔でさっさとタオルで床拭いて次女を風呂場に連れてっておしっこ洗い流して、タオルも洗い流して、戻ってきて床をアルコールスプレーで拭いて、ソファーで横になって毛布かぶってうずくまってた。そして泣いてた(たぶん、ソファーから立ち上がった時の目を見たらそんな感じ)。

 

ホントに”発狂”というか、気がふれた奴の爆発というか、感情の噴火というか、そんな気が狂いそうになる毎日を送っているんだなと想像した時、この嫁の気が正気でなくなってしまうのをこらえるストレスと、24時間自分の時間がないストレスと、なんとも形容しがたい気持ちっつーか、感情っつーか、激情っつーか、そんな気持ちと、子供にやさしくありたい葛藤と、でも子供に暴力をふるう行き過ぎた躾がもたらす虐待みたいなことをする親の気持ちがわからないでもないこの現状とが今の嫁を苦しめてるのか、思いつめさせてるのか、ホント心の病気になってしまわないか心配だ。

 

そんな嫁に対して、この俺。今回はインフルだから俺は一度もインフルにかかったことが無い。俺だけ家族の中で元気。今日は昼間に職場の人が車のシートを俺が持って余してるレカロのセミバケに変えたいって来てシートレールの加工して3時間くらいで終わって見送って、家に入ったら全員寝てて一番下のちびがフガフガ言ってぐずりだしたときに嫁が眠すぎ満開で「ちょ、抱っこできる?」

 

全然出来るわ。あんたこんな毎日を過ごしてんだから、数時間一番下のちびを抱っこしてあやしとくぐらいは全然やりますよ。ゆっくり寝てておくんな!そんな気持ちでありました。

 

2時間は抱っこしていただろうか。夕方、長女が目を覚まし、嫁も起き、次女も起きて、俺はアイスを買いに行って、夜飯、風呂、就寝。

そんな一日。

 

ホントはもっとやりたいことやしなきゃいけないことがあったんだけど、具合が悪い家族全員の、ってゆーか、せめて嫁の負担を減らせられるようにしてあげて、嫁の気持ちを少しでも開放っつーか、気楽なひと時を過ごせるようにすることができれば。そんな気持ちで今日を終えた。

 

子供が欲しかったし、子供が出来てうれしかったし、子供といたらうるせーしうざいけど微笑ましいことがグッと増えてはいるんだけど、ふと嫁としゃべってて子供がいなかったらどれほど俺らは自由だろうね、そんな話をたまにする。

どれだけ2人の生活で自由気ままに、何にもとらわれることなく、もしかしたら収入にもとらわれる事なく、色んな国に旅行行って、おいしい物を毎月給料が無くなるまで食べ歩いて、欲しい物は買って揃えて、乗りたい車に乗って、TVで見たスゲー景色のトコ行って、そんな想像をしだしたらキリが無いくらい違う人生になってたんじゃないかなと思って互いに話すことがある。

 

子供がいる今の現状はこれはこれで自分たちが望んでいたことであって、過去の自分たちが選んで今があるんだけど、もしも子育てがこんなに大変だと事前に知っていたら、”子供かわいい”が免罪符で子供がいるだけで幸せ、現実にはそんな甘くない子供がいる生活が決して幸せってわけじゃないって知っていたら、子供がいるせいで身軽に動けなくなってしまうのがどれほどのものなのか知っていたら、そんな無い物ねだりの”もしも俺が本気出して勉強をちゃんとしたら東大だって、、、、”みたいな空想の話でしかないが、人生はやり直せないということを今日の嫁との会話でグサっと来るものがあった。

 

人生はもう後戻りはできない、やり直せない(このやり直せないは再出発出来ないという意味ではなく、20代、30代は子育てで消耗してしまうもったいない期間になってしまい、本当は子供がいなければもっと違う二人の人生になったんじゃないかという意味)

 

今の一番したのちびが20歳になったとき、俺は52歳、嫁54歳。

うーん。子育てを早く終わらせた方がいいのか。

それともなるべく2人の生活を目一杯楽しんでから、40代になってそろそろ子供でも、と思ってから子育て終えて還暦迎えて、そんなのもよかったのかな。

 

バランスかなぁ。親と自分でいることの境界線みたいな。子供にとらわれる、子供がいないことにとらわれる。そんなバランスがまだ不安定なのかなぁ。親である理想と現実と自己中心的な人生を歩みたい理想と現実の乖離みたいな。

 

でも、子供がいる人生は素晴らしいとか、そんなキレイごとなんか言うつもりはない。もう言うこときかない時とかはほんとむかついて子育てなんかほっぽりだしたいし、数時間おきに腹立つしだけど、口元が緩んでしまうような微笑ましい瞬間もあるし、子供は、いたらいたでいいし、いなくてもいいのかもしれない。

人生は正解がない。教わるモノでもない。経験しないとわからないもんだ。

子供がいる人生、いない人生、出来ない人生、自由、理想、現実。子供がいるから身動き取れないなんてタダ自分で自分を束縛して”自由じゃない、何もできない”って思い込んでいるだけでホントはもっと自由にやれるのかもしれない。子供がいる事にもっともじみた理由つけてホントはいてもいなくてもただ収入がとかせっかく建てた家が、とか言ってほんとは仕事辞めてしまうことも家を手放してしまうことも海外に飛び出してしまうこともビビッて一歩踏み出すことが出来ないだけなのかもしれない。

 

もっと自由になれたら。考えも行動も。

 

まだまだだなぁ。

 

そんなことを思いめぐらす今日だった。

 

今日の写真。

 

次女が漏らした後始末で拭いたタオルたち

 

 

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 PENTAX K-30 

INDUSTER50mm f3.5

 

 

 

夕方アイスを買いに行ったときに散り始めていた桜

 

 

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PENTAX K-30

 INDUSTER 50mm f3.5

 

 

 

もう、夏は目の前だけどまだまだ寒い5月中旬

 

俺、嫁、共にまだまだ人生、修行の身。

ただ嫁の負担やストレスを減らせてやれたらなぁ。

 

仕事、いよいよ考えるか。 

 

 

天才と凡人の隙間を垣間見る瞬間

 

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今日は最近買った本の話。

 

ここ最近、Qで写真を撮ることにハマっていてそのコンパクトさと出来る事の豊富さから通勤、勤務中共にひたすら肌身離さず的な感じで持っていてなんともない日々をパチリすることに夢中。

 

そして、「こーゆーのはスナップシュートっつーんじゃないのかな?」

 

と思ってから”スナップシュート”という言葉に取りつかれてひたすら写真を撮っている、そんな毎日。

 

ケータイをいじっていても常にカメラ、特に”スナップ”という言葉があうものに焦点をあてて検索したり画像を見てみたり。。

 

MFのオールドレンズを付けたK-30で家族を撮ることだったり、通勤途中の車内からだったり、職場だったりしてとにかく写真を撮ることに最近また熱を帯び始めてきている今日この頃。

 

スナップで検索しているともちろん出てくるのはPENTAXの親会社RICOHのGR。

これは何年も前からずーーーっとほしい機種で、これがあったらまた違う写真が撮れるんじゃないだろうか、違う毎日や違う視点、ぐっとくる写真が撮れるようになるんじゃないか、そう思って持ち歩いていたらと想像を膨らませてやまない日々を過ごしていくうちに日々の忙しさに負けて(言い訳)カメラの熱は冷めて、カメラで写真を撮らないことが何週間もあったりして、

(俺にとってカメラって忙しい日々では気に掛けることもなくなってしまうようなポジションのものだったのかな?)という考えも湧いて、家族で市内に出かけるときにも忘れてしまうくらいまで自分の中でのカメラの立ち位置は下がっていた。

 

そして「そんなに使わないなら整理するか」と思い、FA50F1.4を売り、Da50mm F1.8を売り、カメラ自体持ち歩かなくなっていて、

「どうせ持つなら一眼を持つ」

という考えで、オーダーカラー最終受付でオーダーしたネイビー×イエローのQ7を売り、01、03、06のレンズも売り、手元に残るは嫁さん用という口実で手に入れた初代Qと02レンズのみ。

 

そのまま防湿庫で眠ること1~2年。

 

もう、いつから使ってないのかさえおぼろげなくらいのQだったけど、去年の秋口に新製品だったK-70が出てK-30で不満だったさまざまな点がK-70で解消されていてなおかつリアルレゾリューション、肌色補正、バリアングルと機能てんこもりの久々のぶっこみ機種でK-S1、K-S2は流していたケドK-70は欲しくなったのと、その勢いで買ったHD DA40mm F2.8 limitedを買ってからその双方のコンパクトさと写りの良さにまたカメラに対して感動を覚えて再び低スペックなQですら持ち歩く日々を過ごしていた今年。

 

もう頭の中はカメラの事でいっぱい。

 

ほかにやらなきゃいけないことが脳内を埋め尽くしているのに頭の中はレンズのレビューとカメラのレビューとさまざまなブログでの使用感や作例が気になっていっぱい。

 

そんな毎日が続いていて、ふと思ったのが

 

”今ある初代Qなら画質とかボケとか解像感とか気にせずに、でもiPhone じゃ満たされない、気ままに撮れるカメラとしてどんなことがあるのか?”

 

と思い、PENTAXを使っている理由の一つの”銀残し”と”CTE”

 

これらを使うとやっぱりグッとくる一枚が撮れる気がする。

 

そんなこんなで、とにかくまたカメラにハマりだした俺が特に

 

”スナップシュート”というカテゴリーに興味を再度誘われ、ここ最近見くびっていたQシリーズの写りと速射性、コンパクトさ、低価格さゆえに気になっていて、オークションや中古市場を見つめる日々。

 

そんな中、以前欲しかった(今でも)「GR」の特集本で”森山大道”というストリートスナップのパイオニアな写真家がGRで撮っていたのを思い出し、GRの特集本を読み返し、森山大道関連のyoutubeを見て森山大道の本をAmazonでポチって、Q10で初めてデジカメに触ったというアラーキー荒木経惟”(聞いたことはあるが詳細は知らない)の特集号と本とをポチって、今日ずっと読んでいた、そんな金曜。日付は変わって今日は土曜。

 

本の中で

アラーキー

「だいたいタクシーに乗って居眠りしているようじゃダメだね。天才は手ぶらじゃ帰らないからね。家に帰っても朝から晩まで撮りまくる」

「カメラってのはすごいねー。万病に効く薬だね。」

 

森山大道

「量のない質はない」

「車や電車で出かけると名も知らぬただ通過するだけの街ってのが当然ある。そういう町並みをちらっと見たときに嫉妬みたいな感情が湧く」

 

何かひとつ突き抜けたものを得るにはそれ相応の数だったり自分なりの仕事に対する哲学的な姿勢とか考え方や感情の表し方だったりして、いくら天才だ神様だと言われていようとも経験に基づく発言を見ると、正直に、あるレベルに到達した人達はやっぱちげえなぁって思う。

 

偉人の伝記を読んでる気分になる。

 

 

こんなイカれた人達には敵わないが、せめて自分も写真をひたすら撮りまくって、グッとくるような一枚が撮れるヒット率をあげながら、ブレようがピンズレしてようが、ノイズ出まくってようが、とにかく撮りまくろうと思った。

失敗写真だとしても

「これはこれでいいじゃん」と、デジタルだからってすぐ消さずに肩の力を抜いてこれも良しとする視線を持つようにしようと思えるような内容だったから、今の自分にぴったりすぎる本だった。

 

ネットでディスられまくってるQシステムでとにかく持ち歩く事を重視して撮りまくって自己満足でいいやと思ってる。

 

高画素、高性能、ピンズレ、ピンぼけは許さない、失敗写真はクソ扱いな風潮がある中で自分は自分なりのスタンスでカメラを使って、日常や、いいなと思った街角や風景を自分が撮りたいと思った形で撮っていけばいいな。

 

高画素、高性能、高解像なボディやレンズはメーカーが違えば上にはキリがないし、フルフレームがPENTAXから出たけどボディとレンズのサイズや重量に「別に必要ねーなぁ俺には」って思っちゃってるし、ってゆーか上を見たら中判っつーバケモノクラスのカメラもあるけど、自分はK-70とHD DAシリーズのレンズで十分満足出来てる(☆55mm f1.4とHD DA55-300 PLMは欲しいけど)から、カッチリしたそっち方面はそれでオッケ。そればっかりじゃ疲れちゃうし、細かな事に許せなくなってイライラしたり落胆して楽しくなくなってしまってそれこそカメラ自体を持ち歩かなくなってしまうっつー根本的な問題になりかねないから、気ままに気軽にそこそこ写るQ系でテキトー写真を楽しむ。これにつきるなぁと思った。レンズなんかほぼ出尽くしてるからあれもこれもと悩まず散財せずに済む。

 

「足るを知る」っつーのがカメラ趣味のリミッターなんじゃねーのかなぁ。

 

とかいいつつも、fujifilmのカメラとレンズが気になってたり、Sigmadp Quattroの解像やべぇとか、やっぱり欲しいGRとかあったりして、ほんといらん世界に首を突っ込んでしまったもんだと、まったく増えない銀行口座を確認する度に少し、ほんと少しだけちょっと後悔。でも、買ってしまえば維持費はほとんどないし、税金もかからないし、道具じゃないですよセンスですよ な感じも好きだし、いい趣味もったなぁ〜。

 

さ、寝よ

 

父子家庭になってしまったら、、、な瞬間

 

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PENTAX Q 02-STANDARD ZOOM  f2.8 ISO 640 -1EV  1/50 ss 

 

今日4:00頃、仕事から帰宅して「さぁーまた幸せ一人タイムの始まりだ☆!」

 

と思ったら、階段から「だん、だん、だん、、、」

 

「おなかすいちゃった」

 

 

 

ひょっこり長女が起きてきた。

 

風邪気味で幼稚園を昼前に早退してきて、おそらく早く床に就いたのだろう。

途中で目が覚めてしまって、眠れなくなってるうちにお腹がすいてずっと布団の中で目は覚めてたけどママも寝てるし妹も弟も寝てるし、寝れないし、はぁ~、、お腹すいてきた。。。

 

そんなとこに俺が帰宅。

 

こほっこほっ とせきをたまにしながら、チキンラーメンが食べたいと言う。

 

場所がわからない俺は手当たり次第にいろいろ引き出すが見当たらず、長女はあっちだよこっちだよと見覚えがある場所を的確に指示して俺を動かす。

 

そしてついに発見チキンラーメン

 

お湯をケトルで沸かしてる間にiQOSで一服。

 

 

俺よりもいろんなものが置いてある場所を知ってて、いつも使ってる食器もどこにあるのか覚えてて、もはや俺よりもたくましい。

 

出来上がったチキンラーメンをふぅふぅしながらすする娘。 

 

あぁ~、標準よりも小さめに手のひらから肘までに収まるサイズくらいで生まれてきた長女が今はこんなに成長していつの間にか家にあるモノの配置を俺よりも知ってて、若干6歳にして侮れないもんだ。もう子ども扱いは出来ないな。

そう思った。

 

この状況的に、まるでこの家に俺とこの長女しかいないような感じがして、俺が離婚なり、死別なり、蒸発なりされて一人になったとき(3歳次女、1歳長男を除いてシミュレーション)俺は何度もこんな光景を目の当たりにするんだろうなとなんとなく感じた。

 

こんな距離感で娘はどんどん大人になっていって、何でもできるようになって、いつの間にか一人のオンナになって嫁いで、もしくは自分の人生を歩み、たまに帰ってきては面と向かって交わす会話とか特になく、俺が質問したことに対してこっちも見ずに空返事しながら勝手に家のあるモンを食っていたりするんだろうな。。。

 

勝手にそんなことを想像してちょっぴりさみしい感じを受けた冒頭の一枚。

 

 昔からのクセか好みかわからないが、なんだかさみしい感じが好きなのを最近写真に再ハマりして思い返している今日この頃でごわす。

 

 

 さ、嫁も息子も起きてきたし、寝よ。

 

 

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PENTAX K-30 INDUSTER 50 F3.5 開放 

 

 

 

 

 

 

2017ゴールデンウィーク終わりの瞬間

今日でようやくクソったれなゴールデンウィークが終わった。

 

今年の目標は

 

「淡々と繁忙期を終える」

 

これだった。

 

長時間働かない。季節雇用員を含めて約70名が働く環境でたかが俺一人が頑張ったところで何も変わらない。良くも悪くもならない。

それをしてもただ、他の部署や従業員から

”毎日ずっと働いて大変だ、頑張ってるんだな、”

そんな印象で終わっているだろう。

 

それがはたして正しい姿だろうか?長く働く、休まず働く、誰よりも働く、夜中に働く

それがなんなんだ?

自分が心から打ちこみたい仕事ならば、わかっていてもやってしまう、やらずにはいられない、それが真の”仕事道楽”に通じる己の生きがいともいえるべき天職につけたほんの一握りの人たちの

 

”好き”

 

がそのまま仕事になって、自分で努力を努力と思わない、好きだからやってて何も思わない。やって当たり前とか、今日はここまでにしておこうとか、線引きが消える領域の自己鍛錬がもはや人生の意義にもなっているような、自分の価値観全てがそれ基準になるような人間のレベルだ。

 

そんな仕事を探すのが人生の意味であり、自分が生まれてきた理由でもあると思うが、残念ながら今のところ自分はそうではないらしい。

 

好きだと思って就いたバイクの仕事は結局半ば嫌いになってしまって、いまでは好きなバイクに距離を置くようになってしまった。

 

好きな仕事に自分の心を振り回されて行きついた自分なりの答えが

 

”好きでもなんでもない、なんとも思わない仕事を次の仕事にしよう、そしてクビにならなるまでは頑張ろう”

 

そして就いたのが今の仕事。

 

その仕事は世の中が休みのときは繁忙期、土日、祝日連休がかきいれどきの仕事。

 

その仕事自体には残念ながらなんとも思わない。

好きでも嫌いでもない。

 

「普通」

 

そう、ふつう。

 

でも自分の仕事に対する姿勢は変わらないでいるつもりで、自分の良くも悪くもな部分でもあるけど

 

”現状を良しとしない、常に向上を求める、改善すべき点や改良できる物、手順は最善にして成果を最大にする”

 

ふつう、ヤル気が無い仕事をするときは、どれだけ手を抜けるか、さぼれるか、

これを考えるのが給料泥棒の考えるところだが、自分の場合

 

どれだけ改善、悪しき風習をなくせば楽にスムーズに事が運ぶか、手を抜くのではなく、要領良く無駄をなくす。くだらない会社オリジナルのルールに背いて合理的に仕事を進めるか。

 

これを信条として、自分が全責任を負って事に当たっている。

 

つくづく自分は会社に勤めるサラリーマンとして向いていないかを現しているだけだと思うが、別に法律違反をしているわけでもない、社会的に見て批判されるようなことをしているわけでもない、ただよくある日本人が周囲に流されて、空気や他人の機嫌を読み過ぎて出来ないことをしているだけだと思う。

 

そんな不真面目会社員の自分でも仕事に対しては真面目に向き合っているつもりではある(穴はあきまくっているかもしれんが)

 

そんな、目標の

 

繁忙期でもまるで普段と特別変わらずたんたんと終わらす、長時間働かない。

俺だけでなく、働くみんな、いつも通り。特別何かしない。

 

これが目標通りにいったので、逆に今までの自分の数年間の長時間労働と気苦労はなんだったのか、むしろ無駄な長時間労働といらない気苦労だったのだろうなと思い返してしまった今。

 

ま、それも人生の勉強として今後の自分の人生にいきればいいんでない?

 

そんな心持で今日12連勤が終わった夜勤明け。

 

このブログを始めた目標である

 

”一日一枚は写真を撮る”

 

この目標も今のところ達成できている。

 

一日一回ブログを更新するんじゃなく、一日一枚写真を撮る。

 

 

これが目標だから、難易度はグッと下がる。

 

 

とにかく車にPENTAX Qは積みっぱなしにして写真を撮る。

もしくは帰ってきてからK-30かK-70で写真を撮る。

 

それぞれ数分しかかからない。

 

今日は帰ってきてから近所の神社に咲いている桜を撮りに行った。

 

その際に、その神社にはすぐ向かいにラブホがあってそのラブホに入ろうとしているカップルが乗った白いオデッセイがゆっくり走ってて、ゆっくり走ろう北海道!だったんだけどwww

 

ラブホに入って、「お、本番かい?」と思ったのもつかの間ですぐ引き返してきたのか、そのまままたゆっくり走りさって行ってしまった。

 

おそらく

 

男「なんか写真撮ってるオタクっぽいやついんすけどぉ~wwマジうけね?うぃ~とかやっとく?うへへ」

 

女「マジきもーい。早くいこ!」

 

男「ラブホ着いたしwwwイッちゃう?イッちゃう??」

 

女「マジきもーい。なんか、あのオタクカメラ男、うちらの事撮ってんじゃない?マジやってなーい。マジその気うせたー。かえろー」

 

男「うへ~」

 

 

そして、男SEX断念して引きかえす。

 

 

なんかワリー事しちゃったなぁ(笑)

 

なんてことを想像しながらシカトして写真を撮る。

 

でも、そんなのテメーらの勝手でしょ。おれは健全に散り去る前の桜を撮りに来たんだから。。。

そんな一枚。

 

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PENTAX K-70 HD DA16-85mm